シニア海外移住のリアル(2)(イギリス編) 

イギリス在住のげばさんによるシニア層の海外移住に関するコラム第二弾です。

今回はげばさん本人のイギリス移住に関する体験談です。

一見、華やかなイメージの海外シニアライフですが、現地在住者しか知り得ない「リアルな情報」をお届けします。

前回のお話はこちら

 

今回の寄稿者さま

ペンネーム:げば

プロフィール:1964年生まれ。愛媛県出身。大阪で貿易事務をしたのちキャリアアップのためにイギリスに留学。その時に現地男性と交際→結婚。2児の母となる。

しかし21年後に破局。現在、NHS病院で看護師として働いている。

げばおばちゃまの時間: https://www.geba-obachama.com

ツイッター: https://twitter.com/Geba59121309

自分を守ってくれる人を作れ

日本がバブル期で景気が良かった1980年代のあの時代。

円高の波に乗って、海外旅行がより身近になり、猫も杓子も留学できたあの時代。

私も自分のつたない英語力を思い切り棚に上げて、

怖いもの知らずな25歳の好奇心と、未知の世界への恐れと不安を抱えて、

わたくし、げばはイギリスに降り立った。

日本を出る前、知人の留学経験者は私にこうアドバイスしてくれた。

知らない異国の地でやっていくために、誰か1人、現地で自分を守ってくれる人を作りなさい

なるほど、その通りだった!と後になって納得した「名言」である。

どうやって守ってくれる人探すの?

現地の人から見ると、自分たちにとってなんの得にもならない外国人を、誰が好き好んで世話をしようと思うだろうか?

もしあなたの隣に、見ず知らずの異国の女性が突然引っ越してきて、

「ワタシ、ニホンゴワカリマセン。ヒトリデナニモデキナイネ。ダカラ、アナタ、ワタシノトモダチナッテ、タスケテネ」

なんて言ってきたら、

「えらい、やっかいや!ただでさえ忙しいのに…..」

と思ってしまうだろう。

 

アドバイスしてくれた彼女の場合、

その「守ってくれた人」というのはホームステイ先のホストだったらしい。

 

そのホストファミリーと彼女は偶然にも同じ信仰をしていたのだ。

 

彼らにとって彼女はいわば同胞。喜んで宗教のイベントに彼女を連れ出してくれた。

彼女は彼らを通して自然に友人を増やしていったらしい。

これはかなり珍しいケースといっていい。

彼女は幸運にも、自分とピッタリのホストファミリーに出会えたのだ!

 

さて、そんな私はホストファミリーに恵まれず、談笑する英語力もなく、暗くさみしい日々を送っていた。

英語でジョークを言われても、何も面白くない。

笑顔を忘れた日々が続く。

大阪でいつも漫才みたいに話して、ケタケタ笑っていた日々が懐かしい。

笑わない日がこうも続くと確実に「うつ」になる。

「うつ」になるくらいなら「日本語」喋ろう! そのほうがマシ!

 

そしてイギリスに来て3ヶ月たった頃、私は一つの確信をした。

 

「私には英語は似合わない!」

 

留学期間(1年間のボランティア労働ビザ)が終わったら、

こんなわけのわからん「イギリス」からとっとと出てやる!

 

私は「楽しい大阪」に帰るんだ!

 

運命の出会い

そんな時、知人の紹介で私はあるイギリス男子と知り合った。

彼はなんだかんだと(頼みもしないのに)私の面倒をみてくれた。

私は辞書を片手に、片言の英語で会話を始めた。

イギリス人だけあって、彼は英語が上手い。(当たり前である)

彼は快く私の英語学習に付き合ってくれた。

 

それが「恋」の始まりだったと後から気づいたのだ。

 

「恋は盲目」とはよく言ったもので、「楽しい大阪」に帰るどころか、

あれよあれよという間に、私は彼と婚約するハメになったのだ。

思いがけず、「自分を守ってくれる人」を結婚という形で作ってしまっていた。

結婚して一安心?

こう書くと、なんてスムーズな海外移住。と思われるだろうが、とんでもない!

結婚してすぐに私は激しいホームシックに襲われる。

妊娠してつわりがひどい時には、イギリスの食事を全く受け付けず、どんどん痩せていった。

毎晩夢に見るのは、日本の家族、友達、そして食べ物!。

特に食べ物の夢では食べる寸前にいつも目が覚めるのである。

これは誰がなんと言おうと、「地獄」である。

私は毎朝悶え苦しんでいた。

居場所を作るのはピアスの穴をあけるようなもの

イギリスに住み始めた頃は、3年おきに帰る日本が楽しみで仕方なかった。

関西空港や成田空港に到着したら、家に帰ったみたいでホッとしたものだ。

しかし時の流れは私の中にあった日本を変えてしまった

 

  • 一緒に遊んだ従兄弟たちは次々に結婚して、新しい家庭を作っていった。
  • 両親は引っ越しして、住居が変わっていた。
  • お世話になった人たちに挨拶に行くと、亡くなっていた。
  • テレビでは見慣れない歌手がJ―P O Pなるものを歌っている。
  • 住み慣れたはずの街は風景が変わっていて、迷子になった。

 

ピアスの穴は何年も放っておくと小さくなって、

いざ、はめようとすると、小さすぎて通らなくなる。

私が日本を離れた時は確かにあった私の居場所は

私(ピアス)がなくなったあと、空洞になり、

時の流れに従って、確実に小さくなり、

気がつくと穴は塞がっているのである。

新しいピアスの穴

今では日本の空港よりも、ヒースロー空港に着いた時の方がホッとする私がいる。

自分を守ってくれた人(夫)と離婚した時は大変不安だった。

果たして自分はこの国で1人でやっていけるのだろうか?

いや、

やっていく以外ない!

NO CHOICEである。 

とにかく一つ一つ行動を起こしていくしかない!

そうやって始めた福祉の仕事。

勉強して資格をとって、無我夢中で駆け抜けて

気がついたらイギリスに移住して30年の月日が経っていた。

 

日本での私のピアスの穴は塞がってしまったけど、

イギリスでのピアスの穴はしっかり開通した。

 

現在ローカルの病院で働いている。

忙しいけど、ジョークの飛び交うアットホームな職場である。

そして世界中の国籍を持つ友人がたくさんできていた。

インド人、フィリピン人、アフリカ人、ポルトガル人などなど。

 

夫はいなくなったけど、私には娘たちがいる。

 

私はいつの間にかこの国で、

「守られる人」から「守る人」になったのだ。

 

これからも、

チャレンジ精神全開で

好奇心の赴くまま

イギリス移住生活をとことん楽しもうと決心した。

 

< 了 >

 

前回のお話はこちら

※本記事は個人の体験談をもとに作成されております。
※健康法や医療・介護制度、金融制度等を参考にされる場合は、必ず公的機関による最新の情報をご確認ください。
※記事に使用している画像はイメージです。

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