イギリス在住のげばさんによるシニア層の海外移住に関するコラム第一弾です。
一見、華やかなイメージの海外シニアライフですが、現地在住者しか知り得ない「リアルな情報」をお届けします。
ペンネーム:げば
プロフィール:1964年生まれ。愛媛県出身。大阪で貿易事務をしたのちキャリアアップのためにイギリスに留学。その時に現地男性と交際→結婚。2児の母となる。
しかし21年後に破局。現在、NHS病院で看護師として働いている。
げばおばちゃまの時間: https://www.geba-obachama.com
ツイッター: https://twitter.com/Geba59121309
海外移住を計画しているあなたへ
日本ではシニア層の海外移住が流行っているらしい。
高額な割に狭い都会の住居。満員の通勤列車。わずらわしい人間関係。
もしインターネットでどこにいても仕事できるのなら、なんで日本にずっと居座らないといけない?
長年働いた自分へのご褒美、退職金や、現在の持ち家を売れば、海外移住も夢ではない。
自然がいっぱいで物価の安い海外で、老後を楽しく過ごそうではないか!
そう思って海外の不動産屋に出向いていこうとしているあなた。
はっきり言うと
60歳をすぎてからの海外移住はほぼ失敗する
なぜシニアの海外移住は難しいのか
現地の言語習得
これは言うまでもない。若い人ほど言語習得は早いからだ。
文化の受け入れ
日本と比べると至らないことばかり。
文化の違いによるストレスは相当なものだ。
その時、
- 面白いなと好奇心で受け止められる
- 全くこいつらは!と日本人目線で受け止める
60歳を過ぎると、どうしても2の保守的な考えになりがちだからだ。
現地に溶け込める時間がないこと
対して望郷の思いはすさまじくわきあがってくる。
現地に到着したら様々なことを始めるだろう。
言語を勉強して、現地のいろんな行事に参加したり、就職したり、近所付き合いしたり。
ようやく地域に溶け込めるのには、人にもよるだろうが10年以上はかかる。
そしてその時、猛烈に日本に帰りたくなるのだ。
しかしその頃は体も弱って、思うように日本に帰れなくなっている。
会いたい日本の家族、友人にはもう会えないのだ。
新天地での生活の代償に大事な日本のコミュニティーを失うのだ。
そのことは出発前に覚悟をするべきだ。
憧れのヨーロッパ田舎暮らし
20数年前だったと思う。私は子供2人を産み、母親業が忙しくなってきた頃、義理の父からディナーに招待された。
彼はテニスで有名なあのウィンブルドンに住んでいた。
彼は言った。「ロンドンの、この狭いフラットを売って、南フランスの片田舎に豪奢な家を買って、老後をのんびり過ごすことにした。君たちぜひ遊びにきてくれ」
義理の父はすでに離婚していて、自分の娘ほど歳の離れた女性と再婚している。
彼はプロのカメラマンでセミリタイア、若い奥さんは雑誌記者である。
コンピューターと電話で仕事ができるので、2人とも在宅勤務。
やがて彼は本当にウィンブルドンの家を売って、そのお金で南フランスに家を買ってしまった。
子供のいない自由な暮らし。
市場ではポンドがまだまだ強かったので、フランスで受け取るイギリスの年金はちょっと得した気分。
2001年の時、1ユーロが60ペンスくらいだったと記憶している。
*2001年 1ユーロ=62ペンス(0.62ポンド)=117円
(2022年には1ユーロ=0.88ポンド=147円)
おしゃれな雑誌に出てきそうな素敵なお家に、若い奥さんと2人。
これこそ世の男性全てが求めるパーフェクトライフ!
石造りの外観で、中世を思わせる内装、おしゃれな螺旋階段、十分な広さのベッドルーム、複数の客間、運動場のように広い庭、どこまでも広がる葡萄畑。
静かな田舎のその村には新鮮な野菜がいつでもあり、その上物価は安い。
素朴だが魅力的なアンティークマーケットも開催される。
近くには大きな川もあり、その川で行われるカヌーは村一番の人気アクティビティである。
私たち家族は何回もそのおしゃれな邸宅にお邪魔させてもらった。
ランタンの灯りの中、お庭でいただくサラダとワインは格別だった。
朝はフレッシュベーカリーのパンとバター、ジャム、はちみつが並ぶ。熱々のホットチョコレートと共にいただく。
フランスのホットチョコレートは、イギリスの甘ったるいチョコレートとは比較にならないほど美味しい!
陽光の下、お庭でそれらをいただいていたら、大きなイモリが不意に出てきた。
みんな仰天して笑ったものだった。
義理の父はとても幸せそうだった。
狭いイギリスで、あくせく働く私たちにとって彼のこういった生活は羨ましい限り。
その頃、管理職についていた夫は、ストレスまみれで顔色が悪かった。
だがこの休暇で、見違えるほど健康的な顔になったのを今も覚えている。
本当にここは海外移住特集の「表紙」を飾ってもいいくらい素晴らしい別天地だった。
あれから時は流れ、私たち夫婦にはいつしか溝ができた。
そしてそれは別居、離婚……という事態に発展していく。
気がつくとあの素晴らしい休暇から十数年たっていた。
義理の父はあれからどうなったのだろう?
気になって娘に聞いてみた。
娘が語る彼の消息に私は耳を疑った。
なんと!
彼はあの幸せいっぱいだった南フランスの家を売り払い、イギリスに舞い戻っているのだ!
なぜ!? どうして!?
色褪せた夢のフランス移住
あのあとの義理の父について、娘はこんな話をしてくれた。
義理の父はあの邸宅を愛し、村人たちともうまくやっていこうと色々努力したらしい。
村の集会に参加したり、ご近所から野菜を買ったりと、村に溶け込むためあらゆる限りのことをした。
しかし村人からすると、自分たちはこの村に生まれ、親、祖父母、親戚、幼馴染、ご近所と長い年月をかけたつながりがある。
田舎の村はよそ者に冷たく、自分から友達になろうとしない。変化を嫌う田舎ならではの仲間意識である。
義理の父は、村人たちにとって「突然現れた、フランス語ができない外国人」
つまり「よそ者」である。自然と村八分にされてしまったのだ。
この村に義理の父を守ろうとする者はいなかった。
彼の味方はたった1人。
イギリス人である彼の妻だった。気心の知れる唯一の支えはイギリス人なのだ。
彼は自然とイギリス人移住者のグループと付き合うようになり、村のフランス人住民とは付き合わなくなった。
結果、彼の邸宅はますます村のコミュニティーから孤立していった。
フランス人というのは、とにかくイギリス人が嫌い。
長い歴史の中、この二つの民族はドーバー海峡を隔てた隣国であるのに非常に仲が悪い。
実際、英語は世界の公用語として、どの国に行っても通用する。
だからイギリス人は外国語を喋らない。フランス人はそれが癪に障る。
フランスで電気製品を買ったら、フランス語、スペイン語、イタリア語、中には中国語の説明書があるのに、英語の説明書は皆無だった。
「お前ら(イギリス人)、何様?!」と言わんばかりである。
またユーロの高騰でポンドの価値が下がり、移住生活は苦しくなった。
最後の選択
古い家のつくりも老人にはかなり厳しい。
おしゃれな螺旋階段はかっこいいけど、足元のおぼつかない老人には不向きである。
歳をとった義理の父の足腰は年々弱っていった。
広すぎる家、義理の父の歩行のサポート、生活の不安。
それらの現実が彼の妻に重くのしかかる。
歳の順でいくと、夫の方が早く亡くなる訳で、そうすると彼女は孤立した土地でひとりぼっちになってしまう。
彼女は考えた末、イギリスの、自分の故郷に帰りたいと夫に懇願する。
自分たちが生活していたロンドンのウィンブルドンではなく、自分が生まれ育ったサマーセットの田舎である。
そこには自分の兄弟がいて、姪っ子や甥っ子もいる。
最後に彼女が選択したのは「おしゃれな南フランスの豪奢な邸宅」より「家族のいる質素な田舎」だったのだ。
< 了 >
※本記事は個人の体験談をもとに作成されております。
※健康法や医療・介護制度、金融制度等を参考にされる場合は、必ず公的機関による最新の情報をご確認ください。
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