認知症のリアル③「認知症ライフ」

認知症は正確には病気ではなく、その症状のことをさす。

様々な症状があるが、その中の“ものを忘れる”という症状は、正確には“忘れる”のではなく“覚えられない”ということ。

”何度も同じことを聞く”というのは、本人が不安だから確認したいためであると考えられている。
そういった症状が少しずつ少しずつ、母の中に増えていった。

そんな認知症になった私の母との介護体験談、第三話です。

 

前回のお話はコチラ

認知症を理解しよう

手術して患部を取り除けば完治するものとは違い、既に述べた通り、認知症は2023年現在では完治する術のないものである。

しかし完治せずとも、他の病気のように痛みや痒み、あるいは苦しみもないため、身体の辛さといった症状は本人にはない。

まあ、それはそれで本人のことを思えば幸せなのかもしれないが、周りはとことん振り回されることになる

認知症の母は父と2人暮らし。結婚している妹と私は既に実家を出ている。妹は実家から20分、私は実家から1時間の所に住み、妹はフリーの仕事、私はフルタイムの仕事を持っているため、時間を作っては交代で実家に行ってはいるが、実質的には、母の面倒は父がみている
面倒をみるとは言っても、母は自分の足で普通に歩けるし、1人でトイレにも行けるし、食事時にも介助は不要のため、肉体的な機能の部分では父のフォローは全く必要がない

この状態は、認知症の診断を受けてから数年経った今も変わらない。性格も変わらず、明るくユーモアに溢れ、よく笑う。
そのため、最初の頃は同じことを何度も言う母に付き合うくらいが父の仕事であった
しかし様々な症状が徐々に表れ、母の脳は確実に蝕まれていき、できないことが少しずつ増えて行った

かつては毎年、お節料理を手作りしていたほどの腕前が衰え、簡単な料理さえ少しずつできなくなり、買い物にも1人では行けなくなる。
綺麗好きで家の中をこまめに掃除していたことも今では遠い昔のこと。踊りが大好きで、60代の頃だっただろうか、年齢をそれなりに重ねてから始めた日本舞踊では名取にまでなり、舞台に立っていたことも忘れ、好きだったクロスワードパズルの枠も埋められなくなる。

手先が器用で、裁縫や編み物をしては様々なものを手作りしていた母も今はいない。

悲しいかな、これが認知症の現実である。

認知症を受け入れる

しかし、私は母のできないことを数えるより、できることを数えるようにしよう、と頭を切り替えた。

入れ歯は1本もなく、好き嫌いのない母は、まだまだ何でも食べられる。

そして食事をしては「美味しいわね」と笑顔を見せ、自分で言ったオヤジギャグや下ネタに自分でウケては笑うというように、感情はまだまだ健在

父への気配りも失われておらず、父の具合が少しでも悪いと、「大丈夫?」と聞き、熱いお茶やコーヒーを出す時には、「熱いから気を付けてね」と声を掛ける。

洗濯はできなくなったが、洗濯物を綺麗に畳むことはまだできる

私が電話をかけると、私の声もまだ分かる。ただ、父に電話を代わる時は、妹からの電話と伝えてしまっているが。

また、同じことを何度も聞く母に、当初は「さっきも答えたよ」とうんざりしていた私であったが、この対応法にも頭を使い、気持ちを切り替えた。

その対応法とは、あえて回数を数えてしまうこと。「お母さん、これで5回目だね、さあ、今日はあと何回言うかな?ギネスに挑戦してみよう!」と言う。

「あら、もう言わないわよ」と笑いながらも、その舌の根も乾かぬうちに6回目をカウント

いらだちや怒りを笑いに変えてしまえば、自分の気は少し軽くなるし、相手は責められることもない。

とはいうものの、つい感情が露わになってしまうことは否めない

しかし、ちょっと待って。

実は認知症の急激な悪化の原因の1つに、「他人から責められること」がある。

「さっきも言ったでしょ!」「何度も言わせないで!」「どうしてそんなことするの!」など、
つい声を荒げてしまいがちになってしまうのは、家族の気持ちとしては納得できるし、仕方のないことだ。

しかしそういった対応が、認知症の人はもとより、家族をまでも不幸にしてしまうことになる

認知症本人はふさぎこみがちになり、うつ状態になり、症状はどんどん重くなることがあるという

また、家族は言った後に自己嫌悪に陥ることも、怒りがなかなか収まらないこともある。

そんな時の対処法の1つに「アンガー・マネジメント」がある。簡単に言えば怒りをコントロールする方法で“怒り”の感情が湧いたらその場所を離れ、6秒待つ。
これにより、冷静な思考を取り戻すことができると言われる。

介護で苛立ちや怒りを感じてる方は是非、試してみてほしい

認知症の行動には意味がある

現在、母は家事が一切できなくなっている
そのため、料理1つ作ったことのなかった父が、今では母の食事を作り、買い物や洗濯はもちろんのこと薬の管理まで、全て担っている。

まあ、何かができなくなれば、代わりに誰かがすればいいだけのことだが、ちょっと目を離した隙にする母の突拍子もない行動にはほとほと閉口する。

身体が元気な分、あちこち動き回っては、普通ではとても考えられないような行動を起こす母に、周りは振り回されることになる。

楊枝入れや茶葉の入った茶筒に水を注いでみたり、白菜をまるごとテーブルに出したりするくらいはまだ可愛いもの。
食事は父と2人なのに、お皿を6枚並べてみたり、何を入れるのか謎の食器類を並べてみたりするのも、笑える出来事。
トイレに入ればトイレットペーパーをまるごと1つ使い、食器を洗う時には洗剤もまるまる1本使い、シンクを泡でいっぱいにする。
これらも、まあお金がかかることに目を瞑れば実害はない

大変なのは、父が席を外して戻った時に、飲みかけのコーヒーに洗剤が入れられていたことや、通帳や公的な大切な書類をどこかにしまわれてしまい、本人はどこにしまったのかを覚えていなかったりすることである。こうなると死活問題になってしまう。

本人はモノを“隠す”ということの認識はきっとないのだろう。

大切なものだからどこかにしまっておかなきゃ」という考えが、もしかしたらあったのかもしれない。
だが、その考えがあったとしても、どこに“しまった”のかを本人が全く覚えていないことが大問題なのである。

認知症の人には、その行動に必ず意味がある、と言われている。その意味は本人にしか分からないのかもしれないから、周りはその行動から推察するだけである。

例えばテーブルに人数以上のお皿を並べること。母に聞くと「お客さんが4人いるんだから、お父さんと私とで6枚必要でしょ」と。
レビー小体型認知症の母には幻視があり、私たちに見えないものが見えるため、あながち母の言うことは当たらずとも遠からずである。
洗剤を1本使うのは、母の中に残る“綺麗好き”の性格が、ピカピカに洗うためには、沢山の洗剤を使ったほうがいい、と脳に呼び掛けているのかもしれない。

また、母の謎の行動に、紐で何でもくるくると巻いてしまう、というものがある。服をくるくる、使い終わったトイレットペーパーの芯をくるくる、眼鏡ケースをくるくる…。

この行動の意味は、残念ながら私には未だ分からない。

 

介護はつらいよ

昔からアクティブに外出することがほとんどなかった父とは異なり、社交的で外に出るのが好きな母はふっとどこかに行ってしまう時がある。

これまで何度か放浪しているが、幸い、母は怪我などをすることもなく、今は父や妹が探しに行くが、最初の頃は1人で帰宅していたものだった。

「どこに行ってきたの?」と聞いても、「さあ、どこだったかしら?」と埒が明かない。

「見当識障害※」の困りごとである。

見当識障害とは

認知症の中核症状のひとつ。時間や場所、人などが分からなくなる障害のことを言います。時間の感覚が薄れ、約束の時間に合わせて準備をする、長時間待つなどができなくなります。さらに進行すると、日付や季節感が失われ、今日の日付が分からなくなったり、自分の年齢が分からなくなったり、季節感のない服装をしたりということが起こります。

 

1人でタクシーやバスに乗って遠出をしてきたこともあった。
きっと母はどこかに出かけたかったのだな、と思う。

また、放浪していた母が保護されていた交番に妹が迎えに行き、連れて帰る時、「また来るわね」と母はお巡りさんに挨拶をしたという。

いえいえお母さん、二度と来なくていいから

 

2023年7月現在、母の不思議な行動は健在であるが、それに加え以前のように会話のキャッチボールができなくなってきている
誰かと話すことが好きな社交的な母は、とにかく会話をしたがる。
だが、それが支離滅裂なのである。

まるで「言葉のサラダ※」を彷彿させるようで、母が話したい内容を理解するのは至難の業だ。

言葉のサラダ

統合失調症の人などに見られる症状の1つ。単語と単語に繋がりのない話し方のこと。

短い文章、例えば「今日は暑いね」とか、「その服、涼しそうね」などはOK。

これが会話となると、例えば「今日は暑いけど、あの田舎のおばあさんが、うん、そうなのよね。あら、明日は買い物で、こんな高いビルが見えるの〇△×※!*@…」というような感じになり、「こそあど言葉」が多いのも特徴だ。周りはお手上げである

しかし、とにかく楽しそうに話す母を見ていると無下にもできず、適当に「そうだね」と相槌を打ちながら聞き流していると、母は更に輪をかけて嬉しそうに謎の会話を続けていく。

「墓穴を掘ってしまった」と反省する私であるが、これはもう仕方ない、とことん母に付き合うのみである。

介護ストレス対策

認知症の家族を抱えていると、ストレスは他人が想像できないほど。

そのストレスをゼロにすることはできないが、同じ経験をしている人たちと会話をするだけで気持ちが少し楽になることもある。

その例が「認知症カフェ」。

これは認知症の本人や家族などが集い、気軽に過ごせるカフェで、少し古いデータにはなるが、平成26年度の時点で国内に655カフェが運営されている。

家族が認知症と診断された方は足を運んでみてもいいかもしれない。

 

今回の寄稿者さま

ペンネーム:伊藤潤子
1962年東京生まれ。28歳で長男、34歳で長女を出産。結婚前から27年半に亘り出版社に正社員として勤務。退職後は派遣社員としてフルタイムで働く傍ら、障害者のグループホームで働いたり、心理カウンセラーの資格を活かしてカウンセリングや心理学のセミナーを開催したり...。暇になると病気になるほど、「多忙」な日々をこよなく愛する60歳。

 

< 了 >

※本記事は個人の体験談をもとに作成されております。
※健康法や医療・介護制度、金融制度等を参考にされる場合は、必ず公的機関による最新の情報をご確認ください。
※記事に使用している画像はイメージです。

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