Ms.Takahashiさんの義両親介護から娘一家と同居による大家族の奮闘記連載コラムです。
今回は介護編:4話となります。
・これまでのお話
定年と同時に両親の介護生活に入った私たちは試行錯誤の連続でした。
それでも前半の五年間は何とか私たちだけで両親の世話をすることができました。
しかし、だんだんと両親が年を取るにつれて、できないことが増えていきました。
そうなると公的な援助を考えなくてはならなくなったのです。
介護編、堂々の完結編となります。
ペンネーム:Ms.Takahashi
プロフィール:地方都市に住む60代の主婦。10年間にわたる義両親の介護ののち、娘一家と同居をはじめて、現在は六人の大家族へ。
介護生活泣き笑い 後編
そもそも高齢になると赤の他人に世話になることは嫌がりますし、ましてや自分の家に知らない人が入ることを良く思わないものです。
私たちの義両親も同様でした。
そこを何とか説得し、デイサービスを利用し、ヘルパーさんに入ってもらい、最終的には老人ホームに入居してもらいました。
でもそこまでの道のりは相当険しいものがありました。
ここでは、私たちが経験したことを紹介し、同じような問題を抱えている人たちの参考にしていただけたらと思います。
介護の方法について考える
義両親ができないことが増え、記憶もかなり怪しくなっていくのを見て、夫と私は今後の介護の方法について考えました。
- 基本は今まで通り、同居しないで、できるだけの手助けをする。
- 私たち夫婦で出来ないことに関して、ヘルパーさんに入ってもらい、デイサービスなども利用する。
- 義両親のどちらかが入院するような場合は、もう一人をショートステイにお願いし、私たちが入院中の者を見舞う。
- 義両親がどちらか一人になったときには老人ホームに入居してもらうように手配する。
全てをこなすことが困難な状況で、お互いが潰れないように今までのスタンスを守りつつ利用できるもは全て利用していく方向性でまとまりました。
義両親の気持ち
私たちの心づもりはできましたが、両親は私達が外出したり、ヘルパーさんが家に入ったりするのは嫌だったようです。
この状況を打開するのはかなり大変でした。
義父は息子たちが来てくれたからには、何から何までやってくれるものだと思っていました。
私たちは、同居こそしませんでしたが、ずっと世話をするのが当然だと思ったようです。
しかし、私達も決して若くないし、介護の手間は日に日に増えていくばかりでした。
この先いつ終わるともわからない介護生活を継続できるとは思えませんでした。
そこで、公的援助をいつお願いするか、私たちは頭を痛めていたわけです。
初めてのデイサービス
転機は義母が肺炎になり2週間ほど入院したことでした。
それまでも病気の後遺症で足が弱っていましたが、2週間の入院生活ですっかり足が弱り、満足に歩くことができなくなりました。
退院してからは、家の中でほとんど座っている生活になり、お風呂に入るのも困難になったのです。
そこでようやくケアマネジャーさんをお願いし、介護認定をしてもらいました。
そしてデイサービスに通いお風呂に入れてもらうことができるようになりました。
実家のお風呂が狭くて、介助する人がいても義母が出入りするのが難しかったので、義母も渋々納得してくれました。
このデイサービスは結果として義父のためにも良かったのです。
義父は義母がころびやすくなっていたので、日中は外出するのが難しくなっていました。
しかし義母のデイサービスの日は義父も安心して外出し、床屋にも行けるようになったので喜んでいました。
ショートステイは便利!
デイサービスは短時間で、週に1回だったので割合に利用しやすかったと思います。
でもその後、義父が体調を崩して、入院して手術を受けることになりました。
入院の付き添いや見舞は私が行くにしても、義母を一人で留守番させるのは無理でした。
そこでまたケアマネさんに相談して、老人ホームのショートステイを利用することになりました。
このときは緊急を要していたので、義母も納得してくれました。
このホームは行き届いたお世話をしてくださり、義母も割合に気に入ったようでした。
緊急の時に受け入れてくれるところが見つかったことは、私たちにとって、とても心強いことでした。
ヘルパーさんは神です
デイサービスやショートステイは自分が出かけて行ってサービスを受けるので割合すんなりと利用することができたと思います。
また緊急の必要性があったので両親も受け入れざるを得なかったという事情もありました。
しかし入院した後は両親ともに体力が落ち、すべてについて手伝いが必要になり、このままでは私たちが疲弊してしまうことが目に見えてきました。
でもヘルパーさんを家に入れるのは二人とも気が進まないことは明白でした。
夫も私たちが「ヘルパーさんを入れて欲しい。」と言ったら、私たちが世話をしたくないからだ!と思われるのではないかと心配しました。
悩んでいた時に、私が背骨を傷めてお医者さんから重いものを持ったり運んだりしないようにと忠告されたのです。
このままではこちらが倒れてしまうと思い、義父に週に一日でも良いからヘルパーさんを頼んでほしいとお願いしました。
さすがに両親も私が倒れたら困ると思ったようで、ヘルパーさんを入れることに同意してくれました。
そのような経過を経て、ヘルパーさんが来てくれることになりました。
週6日、朝1~2時間のサービス。
その後も両親の健康状態に応じて午後にも来てもらったりと本当に助かりました。
ヘルパーさんは良い方ばかりで、両親も幸いだったと思います。
老人ホームへの入居
デイサービスやヘルパーさんの助けを借りて、介護を続けましたが、義父は92歳で亡くなりました。
残った義母をどうするかが大問題でした。
義母はすでに認知症の症状が出ていて、私たちが引き取るのは無理だと判断しました。
そして、ケアマネさんとも相談して、特別養護老人ホームに入居申し込みをすることになりました。
このときすでにショートステイしていた義母は「ホームは嫌だ。」とは言わなかったので、本当に助かりました。
特養は希望者が多いので入居は難航しました。
しかし、義母が一人暮らしになり、ショートステイ中に義父が亡くなってしまったという事情も加味されたようです。
約半年後に徒歩でも行けるところにあるホームが受け入れてくれることになりました。
ホームに入居してからは毎日面会に行きました。義母に「ここの居心地はどう?」と聞いてみましたが、「うん、いいよ。」とのことでほっとしました。
良いホームで親切に世話をしていただき運が良かったと思います。
まとめ
その義母もホームで数年生活した後に他界した。
その時、私たちの10年にわたる介護生活は終わりとなりました。
泣き笑いの毎日でしたが、私たちは両親が比較的協力的で、ヘルパーさんやホームの方々も良い方ばかりだったので本当に助かりました。
もちろんもっとこうすればよかったのにと思うことはありますが、たくさんの人々のお世話になりながら介護を続けられたことは幸運だったと思っています。
次回、大家族編です。
< 了 >
※本記事は個人の体験談をもとに作成されております。
※健康法や医療・介護制度、金融制度等を参考にされる場合は、必ず公的機関による最新の情報をご確認ください。
※記事に使用している画像はイメージです。