認知症のリアル①「これって認知症の初期症状?」

ニュースや新聞でお馴染みですが、厚生労働省によると、超がつくほどの高齢社会の日本において、認知症の有病者数は2023年現在600万人以上と言われている。

これは65歳以上のおよそ6人に1人の割合である。

また、2025年には、その割合が5人に1人(約700万人)にまでなると予測されており、しかも認知症は介護が必要な原因の1位とも言われている。

もちろん高齢者のみならず、若くして発症する若年性認知症もあるが、多くの方にとっては高齢者の病気という認識だろう。

テレビなどのメディアでは連日、高齢者の認知症についての報道が絶えないが、私にとってはどこか他人事で自分の親は大丈夫だろうと根拠なく考えていた。

しかし現実は突然やってくる。本記事では認知症になった私の母との体験談をご紹介したいと思う。

めまいと幻視と幻聴と

今から6年前、75歳だった母は自宅で目まいを起こし、近くの病院に入院した。
翌日お見舞いに行くと、母は何やら不思議な言動を…。

うつろな目で、「怖いのよ、ほら、カーテンの上から男の人が覗いているの」と言ったり、「ごみがある」と言っては、何もない真っ白な掛け布団の上に手を這わせ、何度も何度もごみを集める仕草を繰り返す。


「何言ってるの、誰もいないよ。ごみなんてないよ」と言っても、母は「そんなことない」と。
どうやら母には幻が見えるらしく、「変なお母さん」と、その時の私は単にそう思っただけだった。


しかし入院から3日目、医師から「すぐに退院したほうがいい」と言われ、即退院。
退院の理由は、入院が長期に亘ると見えないものが見える―――つまり、幻視の症状が悪化することがあるためだった。

医師によると、入院した高齢者には、このような症状が見られることが少なくないという。
更には投与している強い薬が、幻視という副作用を起こしている可能性もあるため、投与の量も減らすとのこと。


強い薬を投与され、自宅とは異なる白い部屋で日がな一日過ごしていれば、
例え認知症ではない高齢者でも、普段と異なる空間、それもカーテンや壁に囲まれた白く狭い空間で単調な日々を過ごす入院生活は認知症になる危険が高まるのである。

退院時、病院から自宅に向かうタクシーの中で、母はひたすら外を眺め、何やら独り言を呟いていた。

そして自宅に戻り、居間に座ると、座卓に描かれている模様を見ては、「ほら、アリンコがいる」と言いながら集める仕草を繰り返したり、掘りごたつの中をのぞいては、「猫がいる」と言ったりしていた。

また、衣文掛けに掛かっている服が人に見えたり、聞こえるはずのない音が聞こえたりするといった母の言動は、私たち家族を困惑させた。


そんな母の症状を心配しながらも、父や妹と共に「きっと薬のせいだね」と言いながら、「いつか落ち着く」と、どこか願いのように思う自分がいた。

幻視と幻聴が止まらない

確かに日が経つにつれ、母の幻視は少しずつ減ってはいったものの、退院当日の夜には、とんでもないことが起こった。

板橋区に住んでいる私は、退院当日、中野区の実家に泊まることにし、母の隣に布団を敷いて寝た。


母はなかなか眠れないようで、天井を見上げながら何やらぶつぶつと呟いている
耳を澄ますと、新潟弁で誰かに話しかけている。

普段は東京弁だが、新潟で生まれ育った母は、時々、新潟弁を交えてユーモラスに話しては私や妹を笑わせていたのだが、この時は東京弁は一切なく、パーフェクトな新潟弁でひたすら姿なき誰かに語りかけていた。

相手は私の知らない母の昔の友達や、もうはるか昔に亡くなってしまった、母の従兄弟たちだった。

母の独り言でなかなか寝つけなかった私がようやくうとうとし始めた頃…突然、母は私のほうに顔を向け、私の頭の両脇に手をあて、髪を梳く仕草をしながら、「あんた、可愛そうに、髪の毛、血だらけよ」と…。

お母さん、真夜中にホラーな幻視はやめて!

そんなこんなで、ようやく母は寝息を立て始めたが、それからほどなくして目を覚まし、今度は「ねずみがいるから退治するわよ」と私を起こす。
いやいや、ねずみなどいませんよ…とは言ったところできっと母にだけは見えるのだろう。
仕方ない、真夜中の母のエアねずみ退治に付き合おうと私は覚悟を決めた。

布団から出た母は隣の居間に移動し、「そっちの方に行ったわよ」と、あらぬ方向を指さす。
こうなったらとことん付き合うしかない。


見えないねずみを目で追う仕草をする私に、今度は「ほら、追い込むわよ!」と母。
仕方ない、ねずみを捕まえよう。

私は紙袋取り出し、それを広げ、エアねずみをキャッチして紙袋の口をすぼめる。
「捕まえたよ」という私に、「捨ててきなさい」と母。
「適当にやってもどうせ母には分からないだろう」と母に見えないように部屋の隅にそっと置き、「捨ててきたよ」と告げた。
「そこじゃないでしょ、ちゃんと捨ててきなさい」と母。

 お母さん、そこ、しっかりしなくていいから!

そんな恐怖と笑いの夜を過ごし、翌日も見えないものが見えていたようだったが、3日目から少しずつ症状は軽くなっていき、うつろだった目にも光が宿っていった。

そして数日後、幻視のエピソードを母に話すとほとんど覚えていなかったどころか、逆に「そんなこと言ってたの?」と、母は笑い飛ばしていた。

しかし、今思えば、あの時の幻視はもしかしたら認知症の初期症状でもあったのかもしれない。

私は専門家ではないから正しいかどうかは分からないが、その頃から、幻視の症状が時々出たり、物忘れの症状が増えていったりする母のことが、少しずつ気になるようになっていった。

ただ、それを否定したい自分もその時は確かにいたものの、逆に、もしそうであったらその時はその時だ、と腹を据える自分もいた。

その後ほどなくして、私の予想は現実となる

認知症の治療薬はあるの?

認知症は2023年7月の現時点では日本においては確実な治療法のない、いわば不治の病だ。
何をどうやっても、症状は進んでいく。

認知症の薬はないことはないものの、それは「治療薬」ではなく、症状の進行を緩やかにさせるだけのものである。

気休めと言っては語弊があるかもしれないが、それでも服用していれば、急激に進行する症状を緩やかに抑えられるのは有難い。

ただ、アメリカでは、治療薬として既に承認されている薬がある。その名はアデュカヌマブ」

(2021年)の6月に、認知症の新しい治療薬が、アメリカで条件付き承認されたことがニュースになりました

参照:国立長寿医療研究センター 研究紹介コラム 認知症の新しい治療薬アデュカヌマブについて

アルツハイマー型認知症の原因と言われる、脳内に蓄積した「アミロイドβ」というたんぱく質を除去する薬
軽度のアルツハイマー型認知症でその効果が確認されている。

これは残念ながら日本ではまだ承認されていない。
有効性や安全性が得られていないという理由のためだ。


また、この薬が効くのは、軽度のアルツハイマー型認知症のみと限定的で、中等度以上のアルツハイマー型認知症及び他の認知症の人への効果は確認されていない。

「アメリカでは承認」「アルツハイマー型のみ」「軽度の場合」と、使用及び効果は非常に限定的ではあるが、これまで治る見込みのなかった認知症に治療薬ができたことは、一筋の光明を見るようだ。

冒頭に書いたように、認知症の有病者が600万人以上いるといった現状において、認知症に効く治療薬がまだないというのはとても残念なことだ。

将来を見据えて、1日も早く治療薬が開発されることを切に望みながら、私は認知症と診断された母を支えていくことになるのだった。

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今回の寄稿者さま

ペンネーム:伊藤潤子
1962年東京生まれ。28歳で長男、34歳で長女を出産。結婚前から27年半に亘り出版社に正社員として勤務。退職後は派遣社員としてフルタイムで働く傍ら、障害者のグループホームで働いたり、心理カウンセラーの資格を活かしてカウンセリングや心理学のセミナーを開催したり...。暇になると病気になるほど、「多忙」な日々をこよなく愛する60歳。

 

< 了 >

※本記事は個人の体験談をもとに作成されております。
※健康法や医療・介護制度、金融制度等を参考にされる場合は、必ず公的機関による最新の情報をご確認ください。
※記事に使用している画像はイメージです。

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