Ms.Takahashiさんの義両親介護から娘一家と同居による大家族の奮闘記連載コラムです。
今回は介護編:第3話となります。
・前回のお話
定年を機に夫の故郷に引っ越したと同時に介護生活が始まりました。
私の実家には高齢の祖母がいて、母がずっと介護していたので少しは事情が分かりました。
でも、私は大学から他県に進学したために実際の介護をしたことはありませんでした。
夫も似たようなものでした。
ペンネーム:Ms.Takahashi
プロフィール:地方都市に住む60代の主婦。10年間にわたる義両親の介護ののち、娘一家と同居をはじめて、現在は六人の大家族へ。
介護生活泣き笑い
さて、どうやって両親の世話をしたものか、毎日が試行錯誤の連続でした。
幸い最初のうちは両親ともまだ自分のことはできましたし、私たちが掃除、洗濯、買い物ぐらいを担当すれば何とかなりました。
でも1年後、3年後、5年後と時間が経過するごとにできないことが増えていきました。
ここでは比較的両親が元気だった介護生活前半の様子を紹介致します。
両親の生活様式や好みを覚えること
それまで一緒に住んだことのない両親の生活は、私たちとまるで違っていました。
ですから、まず両親の生活様式や好みを覚えることから始めました。
台所の道具や食器のある場所を覚え、掃除道具や掃除の仕方も覚えました。
当面は食事の支度はしないでいいことになっていましたが、両親の具合が悪い時には代わりに台所に立つために、好きな食べ物や普段どんな食事をしているのかも頭に入れました。
手助けすることを見定める
介護生活に入ったとはいえ両親はまだできることがたくさんあったので、できることは極力自力でやってもらうことにしました。
そのほうが健康増進になるし、認知症になる可能性を抑えることにつながるとも思ったからです。
ただし、無理なことは積極的に手伝わなくてはと思っていたので、最初のうちにするべきことを考えて、次のようなことを決めました。
- 私たちがすること:洗濯、掃除、買い物、病院の付き添い
- 両親がすること:炊事、お金や通帳の管理
- その他必要に応じて手伝うこと:衣替え、家具や道具を動かす、家の修繕、両親が転んだりけがをしたりした時の手助け
実際にやってみたこと
夫か私が朝の8時から実家に通いました。
そして食事の後片付け、掃除と洗濯をし、義母に聞いて昼と夜の食事のための食材や日常品の不足している物を買いに行きました。
病院の定期的な受診には一緒に行って病状の説明を聞き、急に具合が悪くなった時には、急遽病院に連れて行くこともありました。
前半は二人がまだ元気だったので、少し手を貸せば生活できたので苦労は少なかったと思います。
介護前半戦、良かった点
両親がまだある程度自立した生活をしている時期に手伝いに通うようになったので、教えてもらって好みのやり方やよく行くお店などを覚えることができたのは良かったです。
両親が相当弱ってからだったら、指示もできなかったでしょうし、私たちも戸惑うばかりだったでしょう。
また近所に住んで介護のために通うようにしたのは正解でした。
同居だといつも一緒にいるのでストレスが溜まり、リフレッシュしようにも自分の趣味などの時間も取れなかったでしょう。
夜中に義母の部屋に電気がついていたら、眠れないのか、もしかしたら具合が悪いのかもしれないなどといらない心配をすることになっていたでしょう。
あと両親ができることはなるべくやってもらったのも良かったと思っています。
義母は料理が上手でしたし、自分好みの濃い味が口に合っていたようです。
私たちはお医者さんに減塩するようにきつく言われているので、到底一緒に食事は出来なかったということもありました。
介護前半戦、困った点
同居しなかったのは基本的には良かったのですが、マイナス面もありました。
最初のうちは両親も割合しっかりしていたので問題は少なかったですが、体も頭も弱ってきてからは、夕食どきに「鮭を二切れ買ってきてちょうだい。」という電話がかかってきたり、日に何度も「おばあちゃんが転んじゃったから起こしに来て。」と言われたりすることもありました。
朝5時に「朝だけどご飯を作ってもらえないかな。」と言われたりすることもありました。
近いので自転車に飛び乗って実家に駆けつけましたが、同じ家にいれば「まだ5時ですよ」で済んだだろうにと思ったことでした。
良かったことも困ったこともありましたが、結果的には何とか上手くいったと思っています。
あまり負担が大きいと10年も介護を続けることはできなかったと思うからです。
続く!
< 了 >
※本記事は個人の体験談をもとに作成されております。
※健康法や医療・介護制度、金融制度等を参考にされる場合は、必ず公的機関による最新の情報をご確認ください。
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