Ms.Takahashiさんの義両親介護から娘一家と同居による大家族の奮闘記連載コラムです。
今回は介護編:第2話となります。
・第1話はこちら
定年を機に夫の故郷に引っ越したと同時に介護生活が始まりました。
たまたま体調を崩して寝込んでいた義父のために、引っ越して早々に実家に通いはじめます。
慣れない土地で、それまで別々に生活してきた家族が協調して生活するのは結構大変なことでした。
ペンネーム:Ms.Takahashi
プロフィール:地方都市に住む60代の主婦。10年間にわたる義両親の介護ののち、娘一家と同居をはじめて、現在は六人の大家族へ。
介護する上で決めたこと
私たちは介護のためにUターンしたわけですが、介護はいつまで続くかわかりません。
夫と私が元気で介護にあたれるように、3つのことを心がけました。
両親の介護のために2人で協力する
介護は私一人では到底担いきれません。
それまでは夫が仕事をしていたので家事その他は私一人でこなしてきました。
しかし、夫も定年になり時間の融通が利くようになったので、半分とはいかなくても夫に介護に加わってもらうことにしました。
あいにく夫は車の運転ができないので両親の病院通いや買い物などは私が行くことになりましたが、役所に書類を出すとか病院で大事な話があるような場合は夫に行ってもらうことにしたのです。
無理をしない
これは本当に大事なことです。
介護はやればきりがないし、いつまで続くかもわかりません。
介護人が倒れてしまっては元も子もなくなります。
実家が狭くてみんなで住むのが無理だったことは事実です。
でもあえて大きな家を探すことはしないで私たちが、実家近くのアパートに住むことにしたのも、24時間一緒にいたのでは、私たちがバテテしまうと思ったからでした。
両親は三度の食事作りもしてもらえると思っていたようですが、義母はまだ何とか料理はできましたし、夫もそこまでしなくていいと言ってくれたので当面は炊事以外の家事を手伝うことで納得してもらいました。
公共の援助を積極的に利用する
介護はだんだん余計に手がかかるようになるものです。
そして、私たち二人では賄いきれなくなることも予想されました。
その時は介護保険にも入っているのですから、公共の援助を躊躇せずに利用することを考えました。
「家族がいるのにヘルパーさんを頼むとはけしからん。」という人もいますが、長く快適な介護を続けるには個人の力だけでは無理があります。
知り合いの現役ヘルパーさんは、自分の親が要介護になったときに公共の援助を頼んだら、親戚から「自分の親なのになんで自分で世話をしないのか。」と非難されたそうです。
そして、その人は私にこう言ってくれました。
「私は一人っ子でほかに手伝いに来てくれる人がいなかったし、到底一人では長期の介護は無理でしたよ。あなたも、親戚などからクレームがついても知らんふりをするのよ。」
なるほど!と思いました。
介護ルーティン
3点を基本原則に、介護生活を始めたわけですが、実際のルーティーンは次のようでした。
- 私たちの食事と片付けが終わった後、8時から夫か私のどちらかが、実家に出向いて手伝いをする。
- 特に具合が悪い時以外は、義父母は自力で食事の用意をすることができたので、私たちが食後の後片付けをする。
- 掃除と洗濯、ゴミ出しをし、買い物があるときはそれを調達して届ける。
以上でその日のルーティーンは終了です。
時間にして2時間ぐらいでした。
また義父母は月に1~2回病院に行くので、その日には私が車で行って送り迎えや付き添いもしました。これは半日掛かりのことが多かったと思います。
その他にどちらかが体調が悪い日には食事の支度をし、特別にお客さんが来るときには接待に通うこともありました。
時間にするとそれほど長くありませんでしたが、毎日となるとかなり大変でした。
普段の日は私が、週末は夫に頼むことが多かったです。交代できる人がいることは本当に大事なことだと思います。
介護生活はその日から約10年間続きましたが、何とかやり切れたのは二人で取り組み、無理せず、公共の援助も受けられたことが大きかったと思っています。
< 了 >
※本記事は個人の体験談をもとに作成されております。
※健康法や医療・介護制度、金融制度等を参考にされる場合は、必ず公的機関による最新の情報をご確認ください。
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