ペンネーム:あきこ
プロフィール:ライター兼訪問看護師。看護師歴30年以上。訪問看護は13年の経験があり、がんやその他の疾患での在宅看取り支援の経験も多数。
今回は博之さん(68歳)のお話。
博之さんは腹部大動脈瘤の手術を受けることになりました。
おなかにある太い動脈が膨れてしまったのです。
高血圧症やコレステロールの薬を飲んでいましたが、再三の指摘を受けていた禁煙はできず動脈硬化が進行。
腹部大動脈瘤が大きくなってきたため、破裂の危険が高まり手術が行われることになりました。
職場の仕事が心配ですが、引継ぎや部下への対応などを済ませ、入院しました。
ご家族も不安を隠しながら、「大丈夫よ」と声をかけてくれます。
無事、膨れて破裂の危険のある血管は人工血管に置換され、手術室からICUに入室。
しばらくして、意識がおぼろげに戻ってきましたが、またうとうと寝始めました。
ICUシンドローム
夜勤の看護師が引継ぎを受けて、博之さんの様子を伺いますが寝ているようです。
ICUの照明の光が目に入らないように、隣の患者さんとの間のカーテンを引き、足元だけ開けておきました。
布が擦れるような音がし始めます。
大きな音ではありませんが、夜ですしICUの機械の音とは違いますので耳に付きます。
聞こえてくる方向は、博之さんのベッド。
そーっと見てみると、手で何かを払うしぐさを繰り返している様子。
左手首の動脈には、ごく細いストローのような管が入っており、ケーブルや点滴につながっています。
血圧を動脈の圧でモニターしたり、動脈からの採血をしたりする管です。
重要な管なので、ひっかけて抜けることがあると大変。
看護師は、博之さんがびっくりしないように「どうなさいましたか?」と聞いてみます。
「む・・し・・・・む・・し・・」と博之さんのゴモゴモした声。
ICUシンドロームという言葉を聞いたことがありますか?
日本集中治療医学会によると「集中治療後症候群(post intensive care syndrome:PICS)は、集中治療室(intensive care unit:ICU) に入室中あるいは ICU 退室後に生じる身体障害、認知機能、精神障害」と書いてあります。
中でもよく目にするのが、せん妄です。
せん妄は、一時的な混乱で幻覚や妄想などを起すことです。
ICUには、急に運ばれた重症の方や、大きな手術を終えた方が入ります。
ピコピコとか、ピーという電子音が鳴っていたり、モニターがチカチカしたり。
夜でも患者さんの様子や医療機器の作動状態が分かるように、照明も点灯。
医師や看護師が動き回ります。
非日常の世界の中で、自分が重症であることの不安などにより、精神的な異常が起きるのです。
身体の血液バランスや老廃物の排泄がうまくいかず、精神症状を起こす場合もあるので、すべてがICUシンドロームではありませんが。
博之さんは、動脈に入れた細いストローを通して、採血でモニタリング中。
血液中の酸素濃度、貧血、電解質バランスなどの異常はなく、ICUシンドロームを疑いました。
「ムシ、虫ですか?」の問いかけに、博之さんはうなずきます。
「まあ、いやですね。この辺にいるのですか?追い払いますね」視線が向かうところをクリアファイルで仰いだり払ったりします。
「いなくなりましたか?そろそろ朝になって明るくなりますので、虫もいなくなる時間ですよ。安心して休んでください。また出てきたら追い払いに来ますからね」
博之さんはゆらゆらとうなずきながら、また寝ました。
術後の決意
眠れず不安が強い場合や、動きが激しく重要な管が抜けそうになったり、医療機器が誤作動する可能性があったりする場合は、お薬を使用して不安の軽減や睡眠の確保を図るようにします。
天井の模様やシミが虫に見えることは多く、点滴の管や医療機器のコード・配線が、ヘビに見えることもよく聞きます。
管類や配線は可能な限り頭の方に持って来たり、視線に入らないようにしたり工夫します。
朝になり目覚めた博之さんに、よく眠ったかを聞くとさっぱりした顔でうなずきます。
本人が内容を覚えていることもありますが、覚えていないことも多いです。
大きな手術を経験した博之さん。
今は、血圧手帳に毎日朝晩の測定記録をし、健康管理も妻任せから自己管理に。
大動脈瘤の原因になる動脈硬化は、全身の血管に及んでいます。
これからの人生を健康に過ごすため、禁煙、適度な運動、バランスの良い食事へと生活改善を決意。
おなかにある20㎝の大きな傷をさすりながら、決意を肝に銘じるのでした。
ICUシンドローム
< 了 >
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※本記事は個人の体験談をもとに作成されております。
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