退院から暫く経っても、母の幻視や物忘れ、また、同じことを何度も聞いたりするといった症状が続いていたため、「やはりこれは認知症ではないだろうか」との思いが私の中でどんどん膨らんでいった。
そして当時私が通っていたカウンセリングスクールの先生に軽い気持ちで相談したところ、心配なら診てもらうといい、と、ある大学病院の外来を紹介された。
認知症になった私の母との体験談、第二話です。
前回のお話はこちら
高齢者を認知症の検査に連れていく方法について
母を病院に連れて行く時、どのように声をかけたのかは今となっては正確には覚えてはいないが、恐らく「頭の中が元気かどうか、いいお医者さんに検査してもらおうよ」と言った類の言葉だったと思う。
元来楽天的な性格の母は、「あら、そうね」と、何の拒絶もせず、何の疑問も抱かず、当日は私と一緒に電車に乗り、いそいそと病院へ。
認知症と懸念される家族を病院に連れて行く際、一筋縄でいかないこともあると聞く。
幸い、私の母はすんなりと行ってくれたが、「私はまだボケちゃいない」「病気じゃないのにどうして病院に行くのか」など、拒絶したり不信感を抱いたりする人もいる。
その場合、どう声をかけたらいいのか?
ご本人の性格やご家族との関係などにより、「これがいい」という確実な声掛けはないが、1つ言えるのは、ご本人の尊厳を損なわないように伝えることが大切だということだ。
いきなり「認知症みたいだから行こう」などとストレートに言うことは避けたほうがいい。
例えば、「暫く健康診断を受けていないから久しぶりに行ってみない?」とか「お母さん(あるいはお父さん)にもっと長生きしてもらいたいから、元気な証拠を見せて」とか、あるいは「この前、〇〇さん(例えば近所の人でもいい)に会ったら、健康診断で気になるところが見つかって、早期発見だったから良かった、って言っていたよ」とか。
嘘も方便である。ご家族を病院に連れて行こうと思っている方は、工夫した声掛けをすることをお勧めする。
認知症の検査を受けてみた
さて、認知症専門外来を受診し、「長谷川式認知症スケール」やCT、MRIなど様々な検査を受けた母は、「レビー小体型認知症」との診断を受けた。
認知症の診断に使うテストで、9つの質問項目からなり、30点満点で20点以下だと認知症の可能性が高いとされる。
レビー小体型認知症はレビー小体という構造物が神経細胞にたまって、認知症などのさまざまな症状を示す病気です。アルツハイマー型認知症に次いで2番目に多い認知症で、血管性認知症とともに「三大認知症」といわれています。
その時、医者に対して私は何を言ったのか、母の反応はどうだったのかなど、詳しい状況は恥ずかしながら覚えてはいないが、ただ、ある程度予想していたためか、さほど驚くこともショックを受けることもなく、「やっぱりそうか」と妙に納得したことだけは覚えている。
もっとも、受診した科が、認知症専門の外来だったため、当初から予想していたことは否めないが。
認知症と向き合おう
認知症という診断を受けた時の本人や家族の反応はもちろんそれぞれ異なることと思うが、恐らくショックを受けたり、落ち込んだり、あるいは断固として否定したりする人は少なくないのではないだろうか。
しかし事実は事実、厳粛に受け止めねばなるまい。
例えばこれがガンなど他の病気の宣告だったとしたらどうだろうか。
さほど心配のない病気だったり、悪性腫瘍かと心配していたものが良性腫瘍であったり、ということもありうる。
また、いい意味での誤診だったということや、早期発見・早期治療により大事には至らず、治ることもある。
しかし、うつによる認知症様の症状や、他の病気による認知症様の症状とは異なり、母のリアルな認知症は、悔しいかな、恐らく“誤診”ということは限りなくゼロに近い。
更に残念なことに、今の所、“完治”という言葉とは無縁である。
このように書くと、絶望的な気持ちになってしまう方もいるかもしれない。
しかし、どうあがいても事実は変えられない。
それなら認知症になった家族と、今後どう生きていくか、どう過ごしていくか、と前向きに考え、進んでいくことの方がずっと大切ではないだろうか。
怒ったり泣いたり落ち込んだりしていても始まらないのだから。
地域包括センターがすごい
前述したとおり、私は母の認知症診断時に落ち込んだりすることはなかったものの、今後のことについては、別段具体的なことは何一つ考えておらず、ま、なるようになるさ、できることから始めよう、というくらいのの心持ちだった。
というのも、落ち込んで泣きわめいたりしても何が変わるわけでもないのだし、もし泣いて治るものならそうするに決まっている。
「今できることから始めよう」―――そう思った私は、知人や友達に相談したり、ネットで調べたりしながら、様々な情報を少しずつ得ていくようになった。
認知症の家族を持つ知人の1人から、「まず地域包括センターに行くといいよ。ケアマネージャーさんのことや介護のことなど、色々な相談に乗ってもらえるからね」という話を聞き、妹と共に、実家近くの地域包括センターへと足を運んだ。
当時、ケアマネージャーさんって誰、包括センターって何、というほどまるで知識のなかった私は、体験者である彼女からのアドバイスを皮切りに、認知症の母と過ごしていく第一歩を踏み出した。
地域包括センターでは、まず母の状況を伝え、認知症の家族を支えていくための様々なノウハウを担当の方から教えて頂いた。
特に、ケアマネージャーさんや介護認定調査員さんなど、これからの介護に関わってくる大切な専門家の方々に関わる手続きなど、分からないことを丁寧に教えてくれる地域包括センターの担当者のアドバイスは、まさに地獄に仏。
全く未知の世界に飛び込んだ私は、大げさではなく、確かにそう思ったものだった。
更に、住んでいる地域の介護サービス事業所が載っているガイドブックや、介護保険の申請から利用までの詳細が掲載された資料なども渡してもらい、地域包括センターの戸をくぐった時の、何も分からないことにもやもやしていた気持ちは、出た時にはすっきりと晴れていたのである。
それまで、介護とは全く無縁だった私も、何やらいっぱしの介護に関するにわかプロになったような気分であった。
案ずるより産むが易しとはまさにこのこと。
素人一人で介護は本当に無理
その後、長きに亘る母の介護の要所要所において、とにかく困ったら、自分で調べるのはもちろんだが、時には同時進行で、時にはお手上げになった時点で、周りに大声でアピールし、経験者や専門家に意見を求めるようにしている。
1人で悶々と悩むより、「困ってるよー、こんな時どうすればいいのー?」と大騒ぎをして周りにたくさんのヘルプを求めながら乗り越えるようにしている。
1人でどうにかしようと頑張り、それができるのはとても素晴らしいこと。
しかし、頑張りすぎて自分が倒れてしまったり、疲れによるストレスが要介護者や他の家族に向かうようになってしまったりするのは、悲劇の始まりになることもある。
1人で頑張りたいと思う人は頑張ってみてもいいが、どうか、限界近くまで頑張り過ぎないようにして欲しい。
“きつくなってきたな”と思ったら、迷わず誰かの力を借りよう。
誰かに助けを求めることは決して恥ずかしいことではないし、むしろ1人で頑張りすぎて潰れるより、よっぽどかっこいい。
というのも、公的なものをはじめとする様々な支援を一切断り、24時間365日を母の世話に費やす父が1人で頑張りすぎて、心身共に大変な状況になってしまったという経験から、あえてこのことをお伝えしたいと思う。
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ペンネーム:伊藤潤子
1962年東京生まれ。28歳で長男、34歳で長女を出産。結婚前から27年半に亘り出版社に正社員として勤務。退職後は派遣社員としてフルタイムで働く傍ら、障害者のグループホームで働いたり、心理カウンセラーの資格を活かしてカウンセリングや心理学のセミナーを開催したり...。暇になると病気になるほど、「多忙」な日々をこよなく愛する60歳。
< 了 >
※本記事は個人の体験談をもとに作成されております。
※健康法や医療・介護制度、金融制度等を参考にされる場合は、必ず公的機関による最新の情報をご確認ください。
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