【認知症】思い出し笑いの種を植えよう【介護】
今回の寄稿者さま

ペンネーム:あきこ

プロフィール:ライター兼訪問看護師。看護師歴30年以上。訪問看護は13年の経験があり、がんやその他の疾患での在宅看取り支援の経験も多数。

今回は昭和6年生まれの里子さんのお話。

ご主人を6年前に亡くし、一軒家で一人暮らし。

お子さんたちは、病気で亡くなっています。

血圧が高く病院通いをしていましたが、認知症が進み外来通院がままならなくなり、訪問診療を受けるようになりました。

涙の訪問看護

ホームヘルパーさんが生活を支援し、訪問看護で身体状態の確認や筋力低下予防のリハビリ体操をしています。

 

最近は足腰が弱り、外出には付き添いや車いすが必要になりました。

家の中でも杖を置いたところを忘れるため、見つけると杖を突きますがなければ手すりや家具を伝い歩きます。

朗らかでいつも笑っていますが、このまま家にいたいけれど皆さんに来てもらってご迷惑をかけていると思うとこれからどうしたらよいのか。と涙ぐむこともあります。

 

涙のあの歌

 

ある日、リハビリ体操の際に「イチニ、イチニ」の掛け声を歌に変えてみると、一緒に口ずさんでくれました。

里子さんが好きな歌や、思い出の歌を聞いてみますが、思い出せません。

美空ひばりさんや笠置シズ子さんを歌いながらの体操は、里子さんをより一層笑顔にします。

 

別の日に、同じように歌いながらの体操をしていると、「なつかしいですね。なつかしいです。」と里子さんは泣き始めました。

しばらく看護師だけが歌います。泣くのを止めずに里子さんの気持ちを感じながら見守ります。

 

鼻水をすすりティッシュで涙を拭き、「なつかしいですね。久しぶりです。ありがとうございます。」と泣き笑いの顔になりました。

看護師の歌に、鼻歌で沿わせてくれます。

 

次の訪問時、「看護師さん、あの歌は知りませんか。」と聞かれました。

里子さんが何度も思い出しながら歌うのは、どうやら次のような歌でした。

「母~は わがやを てらーす 月か  やさーし やさーし あいの・・・※1

 

スマホの検索では出てきません。

大好きな歌で思い出があるのでしょうが、一体全体何の歌かヒントもつかめません。

涙の記憶

血圧や足のむくみなど身体の確認し、体重をはかった後、定期薬を里子さんの手に乗せ、飲んでいただきました。

食欲やお通じ、今日の気分など雑談をしながら聞いていると、里子さんが急に笑い出しました。

 

理由を聞くと、こんな話でした。

 

合唱コンクールがあり、田舎の町から選ばれ近くの大きな町の建物に出かけた。

小学3年生位だったと思う。

立派な建物で、玄関から絨毯が敷いてあった。

絨毯を目の前にして、靴は脱ぐのか、どこに置くのかお友達と困っていると、「そのままどうぞ」と言われた。

 

田舎者ですから、絨毯の上を靴で上がるなんて、ねえ。お友達と本当に困ったのよ。

そうしたら「そのままどうぞ」ですって、おかしいわね。

と何度もそのおかしかったことを思い出しては繰り返し笑うのでした。

 

訪問から職場に戻り、再度歌詞を検索すると、ありました。

「母」という歌でした。

 

すごい、あった。

さらに調べていくと鳥肌が立ちました。

二つの点が、ストーリーの一本の線になったからです。

 

「母」は昭和16年の第1回東亜児童唱歌大会の課題曲でした。

里子さんがちょうど小学3年生位のころです。

歌を思い出し、当時コンクールの選抜大会に出かけた光景も浮かんできたのでしょう。

 

置いたばかりの杖を忘れて、また歩き出してしまうのに、80年前の歌や光景を思い出せるなんて。

人間の脳や記憶は本当に不思議です。

 

認知症と過去の美しい思い出


認知症の予防として、よく歩き運動すること、食事のバランスを考え青魚も取り入れること、仲間との交流や社会活動に参加することが言われています。

これらのことは、生活習慣病の高血圧や糖尿病を予防し、大きな病気の心臓病や脳卒中や腎臓病の予防にもつながります。

 

里子さんのように笑って思い出せるエピソードをたくさん脳みそにためておき、年を取って思い出し笑いをすることも幸せの一つかと思います。

毎日充実した日々を送り、エピソードを蓄えたいですね。

 

※1 引用:社団法人日本放送協会 第1回大東亜児童唱歌大会課題曲『母』

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※本記事は個人の体験談をもとに作成されております。
※健康法や医療・介護制度、金融制度等を参考にされる場合は、必ず公的機関による最新の情報をご確認ください。
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