【介護体験記】人生山あり谷あり:介護編1【娘一家と同居】

Ms.Takahashiさんの義両親介護から娘一家と同居による大家族の奮闘記連載コラムです。

今回は介護編:第一話となります。

 

今回の寄稿者さま

ペンネーム:Ms.Takahashi

プロフィール:地方都市に住む60代の主婦。10年間にわたる義両親の介護ののち、娘一家と同居をはじめて、現在は六人の大家族へ。

定年を迎えるまで

定年が近くなると誰でも「さてこれからどうしよう。」と考えると思います。

ある人は忙しい仕事から解放されるのだから、これからは自分の好きなことをして過ごそうと思うでしょう。

実際に新しい仕事にチャレンジする人もいます。

それまでできなかった新しい趣味や勉強を始める人もいます。

旅行三昧という人もいます。

ですが、多くの人は仕事を終えて「少し休もう、しばらくはのんびりしたい。質素な生活をして今まで通りに暮らせればいいかな。」と考えるのではないでしょうか。

 

私も普通に質素な生活をしようと思っていました。

ところが夫の定年まで一年後になったころ、夫は突然「両親の面倒をみるために田舎に帰る」と言い出しました。

私にとってはまさに青天の霹靂でした。

当時義父母は80代で、田舎で二人だけの生活をしていました。

私たちは当時住んでいた家を建てる時に、将来義両親と同居できるようにと一部屋多い間取りで設計したのですが、結局首都圏に出てくることはありませんでした。

やむなく、両親のどちらかが病気とか父が用事で家を空けるときは、私か義妹が義両親のもとに行って手伝いをしていました。

でも両親もだんだん高齢になり、時折近所の人のご厄介になっているらしいということを耳にするようになりました。

そこで、夫は自分たちが帰って面倒をみるしかないと思ったわけです。

幸い私たちの二人の子どもはすでに結婚し、他県で生活していたので、私たちがどうしても都会に住む理由はなくなっていました。

 

とはいえ、長年住み慣れた場所から田舎暮らしに戻るのはかなり大変なことです。

特に私にとっては、新しい土地ということになるわけで、その土地でうまくやっていけるか心配でした。

ですが、夫の意思は固く、両親が周りの人にご迷惑をかけているというのに放っておくことはできないというのも確かなことでした。

というわけで、やむなく私も田舎にUターンすることに同意したわけです。

 

定年と引越しの準備

さてそれからが大変でした。

長年住んだ家を売りに出し、両親宅の近くでアパートを探しました。

アパートはすぐに見つかりましたが、家を売るのはかなり大変で、約半年かかってようやく買い手が付きホットしました。

そして、大きな家から小さなアパートに引っ越すことになったので、大量の荷物を減らすことに半年費やしました。

この作業がまた大変でしたが、子どもたちの衣類や本、勉強道具それに遊びの道具までほとんど捨て、家族アルバムや私たちの不要な衣類や本、卒業アルバムまですべて捨てました。

「何もそんなに全部捨てなくても。」と言う人もいますが、私は昔のものを懐かしく眺めているよりも、これからのことを夢見ていたい性質なのです。

ですから古い物を処分しても、後で困ったと思ったことはありませんでした。

大断捨離を実行するには引っ越しが一番。

その意味ではUターンしたのは大正解でした。

 

夫が定年を迎えた3月の末、夫の故郷の街にトラック2台分の荷物を持って無事に到着しました。

< 了 >

 

※本記事は個人の体験談をもとに作成されております。
※健康法や医療・介護制度、金融制度等を参考にされる場合は、必ず公的機関による最新の情報をご確認ください。
※記事に使用している画像はイメージです。

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