ペンネーム:やすひろ(仮名)
プロフィール:エネルギー関連の企業で41年間、技術職として勤務。発電設備の運用・保守管理勤務が主な仕事。妻は3歳年下で、結婚して34年。長男と長女(既婚)あり。
あと1年で定年を迎える時期に妻が倒れ、半年後に介護離職した。現在は介護や家事で大忙しの夫です。
介護はあなたのまわりに突然やってきます。介護は他人事ではなく、いつ自分に降りかかるか分かりません
妻が倒れて3年6か月、介護をはじめて3年になる夫の足跡を紹介します。
介護は女性がするものという時代は終わりました。
私の苦難を知ってもらい、いつ起こるかわからない介護の知識を持っていても無駄ではありません。
妻の介護を決断した2度の奇跡
定年まで残り1年余りとなった8月の夜、妻はなんの前触れもなく、自宅の浴室で倒れました。
浴室の異変に長女が気づき長男が介抱している間に、私が119番通報し、急性期病院に運ばれました。
医師の診断結果は「脳幹出血」。手術不可能でこの1週間が山場だという結論です。
訳が分からないまま、集中治療室での治療が始まりました。
急性期病院の集中治療室では妻の意識はなく、頭内圧を下げる点滴と酸素吸入の処置だけでした。
私と子供は、病院での長期戦に備え一度帰宅し、入院に向けた準備を始めました。
この後、病院で2度の奇跡を体験します。
1度目の奇跡
妻が倒れて2日目の昼頃、病院に向かおうとした所、医師から電話で妻が危篤状態になったことを告げられました。
親戚や妻の友人に子供と手分けして連絡し、病院に訪れた方を見送っても、危篤状態は変わりません。
しかし、1週間が過ぎて妻の容態が安定したため、集中治療室から一般病棟に移動できました。山場を越えたのです。
1度目の奇跡です。
2度目の奇跡
医師からは危篤状態から脱したが、今後意識が戻ることはないと告げられました。
つまり、意識がなく植物状態で寝たきりという意味です。
しかし、私と子供はあきらめることはなく、いつか目を覚ます時が来ると信じてほぼ毎日病院に通いつめ、話しかけたり音楽を流しました。
そして妻が倒れて約1か月後、妻の意識が戻りました。医師も驚いていました。
2度目の奇跡です。
苦難の始まり
妻は急性期病院から慢性期病院を経て回復リハビリ病院に転院となり、4か月の辛いリハビリ生活が始まりました。
病院でリハビリを受ければまた元の妻に戻ると信じていましたが、その想いは完全に叶いませんでした。
病院からほぼ毎日、職場に電話
私は、定年後も会社の再雇用制度を利用し働き続ける予定でしたが、在宅介護を始めると仕事を続けるのは困難だと感じていました。
妻が退院するまでは仕事を続けていましたが、ほぼ毎日病院から看護師を通して電話があり、仕事になりません。
妻の「早く退院したい」「家に帰りたい」という苦情対応に追われる毎日でした。
休みのない日々
定時退社後は、病院に顔を出すのが日課になり、休日も朝10時から夜8時まで病室に通い詰めの日々でした。
病院では休む間もなく、介護スキルアップのため、排泄介助から食事介助、痰の吸引、点滴の管理など看護師や介護士の指導が続きます。
自分の食事や休憩など考える暇はありませんでした。
家計のやりくりに四苦八苦
もう1つの問題は、家計のやりくりです。
家計は妻に任せきりだったので、支出がさっぱり分かりません。
家や車のローンやクレジットカードの支払金額や期限など知らないことばかりで、子供と四苦八苦しました。
夫は働くだけでなく、家計を知り、家事を手伝うことは大切だと痛感しました。
在宅介護の決断
在宅介護を決断した主な理由は次の5つの考えがあったからです。
・妻の「家に帰りたい」、家族の「家で介護したい」という意見が合致した
・定年前で役職にも就いておらず、介護離職しても会社に迷惑をかけない
・介護スキルは上がった
・妻との時間が増える
・退職金と年金の繰り上げ受給で少しは生活費に余裕がある
詳細な生活設計までは分からない状況でしたが、妻の病状は良くなると信じ、在宅介護に踏み切りました。